皆さんには、「どうしても許すことのできない相手」っていますか?
「絶対に許さない!」と強く決めている一方、心のどこかでは、
「そろそろ許してやってもいいかな・・・」
「許せたら楽になれるのにな・・・」
「自分はいつまで過去にとらわれているんだろう・・・」
というような、
「許したいけど許せない」
こんな葛藤の気持ちを抱いている場合もあると思います。
心のどこかに少しでも「相手を許したい」「別に許してあげてもいい」と思う気持ちがあるのなら、こう考えてみるとどうでしょうか。
自分も今までたくさん許されてきた
それは、「自分も今までの人生で、たくさんの事を許されてきたはずだ」という考えです。
例えば、
赤ちゃんの時は泣く事を。オムツを変えてもらう事を。
誰かとケンカをしても仲直りできたのは、相手に許してもらったからです。
学校を卒業できたのは、宿題を忘れたり遅刻をした事を先生に許してもらったからです。
今の職場で長く働けているのは、ミスをする度に許されてきたからではないでしょうか。
このように、ボク達は今までの人生で、多くの人に多くの事を許されてきたはずです。
だから自分は今、ここにいられるのです。
そう考えると、
「今度は自分が許す側になろう」と、ほんの少しでも思えるようになるのではないか・・・。
と思います。
自分をいじめていた同級生を「一生許さない!」と決めていた
ボクは中学校での3年間、特定の同級生からいじめを受けていました。
しかし、当時の自分は今よりも内向的だったので、親や先生に相談することができなかったのです。
殴られたり、机に落書きされたり、毎日何かしらされていました。
中学校を卒業し、いじめからは解放されました。
しかし、その後の高校生活は、「いじめられないかな?」とびくびくしながら過ごす日々でした。
結局、高校でいじめられることはありませんでしたが、過去に自分をいじめてきた同級生に対する怒りが冷めることはありませんでした。
「あいつらのせいで中学生活が楽しくなかった」
「高校生活も心から楽しめない」
「青春を台無しにしやがって」
怒り。恨み、憎しみ。
負の感情のオンパレードでした。
「一生許さない!」「いつか絶対に復讐してやる!」と心に誓っていました。
バイトでのミスを許してもらったことで考えが変わった
ボクは大学生の頃、居酒屋でアルバイトをしていました。
その時に、盛大なミスをしてしまった事があります。
グラスに入った赤ワインを運んでいる途中、それをこぼしてお客さんにかけてしまったのです。
お客さんの服は濡れて赤くなっている。
テーブルはワインまみれ。
テンパっているボクに対して、その方は「大丈夫だよ」と優しく言ってくれました。
ボクはひたすら謝ることしかできません。その場は店長が対応してくれました。
そのお客さんが帰る際、店長はクリーニング代を渡し、飲食代は頂かずに見送っていました。
いじめに対しては絶対に泣かなかったのに、この時は本気で泣きそうになりました。
もしかしたら少し泣いていたかもしれません。
もちろん、店長からはめちゃめちゃ怒られました(それまでの人生で一番ぐらい)。
しかし、その後しばらくしてから頂いたバイト代は一円も引かれていませんでした。
この経験から、
「自分もできるだけ人を許せるようになろう」と思い、日々実践するようになりました。
そうすると、過去に自分をいじめてきた同級生に対する怒りが徐々に冷めてきたのです。
今ではもう、完全に許すことができました。
どんなに些細でも、毎日なにかしら許されている
「できるだけ人を許せるようになろう」と思いながら生活をしていると、
“許してもらう事”にだんだんと敏感になってきました。
それまでなら無意識にやり過ごしていた出来事に対しても、
「あっ、いま許してもらったんだな」と気付くようになってきたです。
どんなに些細でも、毎日なにかしら許されているのです。
人にぶつかりそうになった時。
道を譲ってもらった時。
エレベーターのドアを開けて待ってくれていた時。
相手を驚かせてしまった事に対して。
相手の行動を妨げて、道を進ませてもらう事に対して。
相手に待ってもらう事に対して。
このようなことが、今までの人生で数えきれないぐらいあったはずです。
「許されてきたから、自分は今、ここにいられる」
今後の人生、ボクはこの考えを持ち続けたいと思っています。