私たちは、魂磨きをするためにこの世に生を受けました。
生まれてきた時よりも魂を綺麗にして寿命を終える。
これが人生の目的です。
私たちは今世に至るまで、輪廻転生によって何度も生まれ変わっています。
転生する度に肉体は変わりますが、魂は変わりません。
「転生は、一つの魂で繰り返すからです」。
ですので、
「今世で積んだ徳は、来世に持ち越すことができます」。
では、徳はどのようにして積まれるのでしょうか。
それが、「利他行」になります。
今回は
その利他行と徳の関係ついて考察していきたいと思います。
徳は利他行によって積まれる
徳は、利他行によって魂に積まれていきます。
徳が積まれるとどうなるのか。
徳のある人の特徴として、次のようなものがあります。
・他人に見返りを求めない。思いやりがある。
・怒りや嫉妬などの負の感情に振り回されない。情緒が安定している。
・自分の功績を誇示しない。謙虚である。
・当たり前を当たり前だと思わない。些細な事にも感謝の気持ちを持てる。
徳を積むことによって、このような人間性が自然と滲み出てくるようになります。
徳のある人は、自分の利益や損得ばかりを優先しません。
周囲に対して思いやりや感謝の気持ちを持て、皆に平等に接します。
このような人間性は、他人に安心感を与えるとともに、周囲の人からの信頼を得られます。
その結果、良い人間関係を築きやすくなり
自分が困っている時に協力してもらえたりするのです。
利他行はすぐにでも実践できる
利他行とは
「自分のことよりも相手の幸福や利益を優先する思いやりの行為です」。
このような行為で真っ先に思いつくのは、ボランティア活動や寄付活動ではないでしょうか。
他には
貧しい国に学校を建てたり、こども食堂を運営したりといった貢献活動もそうです。
これを聞いて
「利他行はお金や時間に余裕のある裕福な人にしかできない」
と、思われるかもしれませんが、そんなことは全然ありません。
今からでも実践できることはたくさんあります。
日常生活ですぐにでも実践できる利他行を、いくつか例に挙げてみます。
・挨拶をする
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「お疲れ様」「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「さようなら」。
日常では様々な場面で挨拶をする機会があります。
挨拶には
相手を労ったり、認知したり、肯定する役割があります。
自分が挨拶をしたのに無視されたら
「認められていないのかな?」
「嫌われているのかな?」
と、不安になると思います。
ですので、相手にそのような思いをさせなために、自分から挨拶をするのです。
疲れている時は、たった一言の挨拶さえ億劫になることがあります。
そのような時に一言声をかけるだけで、相手のためを思って行動したことになります。
・身の回りを整える
身の回りの掃除や整理整頓を行うことは、自分のためはもちろん、その空間を共有する人のためにもなります。
これは、来客を迎え入れる際に特に大事な行為となります。
自分のために時間を割いて会いに来てくれる人に対して
自分も同じように時間を使って部屋を綺麗にし、気持ちの良い時間を過ごしてもらう必要があるからです。
また、
公共の場に落ちているゴミをさっと拾ったり
トイレや給湯室といった、自分だけが使うわけではない場所を綺麗に保つことも利他な行為になります。
「他の誰かがしてくれるからいいや」
「誰も見てないしいいや」
と思わずに
自分からその誰かになることが、魂磨きにつながります。
・人のために行動する
すれ違うときに道を譲ってあげる。
エレベーターのボタンを代わりに押してあげる。
後ろに人がいるときは、ドアを抑えて待ってあげる。
荷物を代わりに持ってあげる。
些細な事のように思えますが、これらも立派な利他行になります。
このような行動は、自分中心の考えで生きていてはできません。
簡単そうに見えて実は難しい行為なのです。
・相手に寄り添う
自分の意見ばかりを主張せずに、相手の話に耳を傾け、気持ちに寄り添うことも利他な行為になります。
自分のことで精一杯のときも
「今忙しいから!」
「私には関係ない!」
などと突っぱねずに
「今は忙しいから後で話を聞くね」
といったような配慮が大事になります。
また、
「あの人になら相談できる」
「この人なら私の気持ちを分かってくれる」
といったような
相手が安心して打ち解けられる環境を自分からつくることも大事です。
そのためには
人と接するときは笑顔で接したり
話を最後までしっかりと聞いたり
といったことを積み重ねる必要があります。
このような
「他人のために自分が変わる努力も利他行になります」。

利他業に見返りを求めてはいけない
利他業を行う上で特に重要になることが「見返りを求めないことです」。
「〇〇したから〇〇されるべきだ!」という考えで行う行為は、自分の理想を相手に押し付ける利己的な行為だからです。
また、
「誰も見てないところでも、誰かが見ているときと同じような行動を心がけることも大事です」。
他人からよく見られたいという思いからくる行為は、自分の利益を求める行為です。
ですので、これも利他行にはなりません。
利他行に終わりはない
「見返りを求めない真心からの利他行が真の利他行」となるわけですが
これが出来るようになるまでには、相当な時間がかかると思います。
もしかしたら、今世の内にこの領域まで達することはできないかもしれません。
それだけ利他行は難しく尊いのです。
初めの内は、見返りを求める偽善の行為になってしまうかもしれません。
しかし、これは当然なのです。
なぜなら私たちは、これが出来ないからこの世に生まれてきているのです。
これが出来ていれば、輪廻転生の輪からとっくに抜け出しているはずです。
勉強やスポーツと同じように、何の努力もなしに最初から上手くいくことはありません。
真心からの利他行が出来るようになるための、努力をすることが大事なのです。
自分の出来る範囲での利他行を繰り返し、利他心を育てていくことで、魂は着実に磨かれていきます。
そして少しずつ、今まで気付かなかった利他心が芽生えたり
今まで出来なかった利他行が出来るようになってくるはずです。
「私は十分に利他行ができている」
「これだけ尽くせばいいだろう」
と思ってしまったら
利他心の成長がそこで終わってしまうと共に、魂磨きも終わってしまうことになります。
ですので、生涯をかけての努力と実践が利他行には必要となるのです。






